登録年度 | 1998年度 |
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氏名 | 千疋 昌昭 (センビキ マサアキ) |
部門 | 市民 |
性別 | 男 |
年代 | 60代 |
専門分野 | 自然への愛着、生態系・生物多様性、公害・化学物質 |
主な活動地域 | 福岡県北九州市 |
主な経歴 | 2000年9月2日に北九州市で開かれた「グローバル500アジアフォーラム」にて北九州工業地帯の一角にあった八幡市城山小学校。公害問題(降下煤塵等)により児童生徒や住民の健康被害が進み開校から21年で閉校。一人一人の友が去っていく悲しさ、学校が取り壊されるむなしさを報告。以来、環境カウンセラーとして城山小の問題提起を市民の方や教員の方々とフィールドワークをして学びを深めている。 |
特記事項 | ・官営八幡製鉄所を中心とする工場群の近内に降下煤塵日本一を記録し、閉校した城山小学校の当時の話。こどもエコクラブ推進委員(小学校の児童を中心に自然愛護や環境教育推進)。「○○川の清流をとりもどす会」相談委員。委員会や地域児童との蛍の幼虫を飼育し流域の川に放流(地区の郷土愛を育む取り組み)等。 |
活動の紹介
北九州市城山地区の公害について
北九州の城山地区は戦後 日に日に工業地帯が広がり公害(降下煤塵等)がひどく、昭和51年、開校から21年で城山小学校は閉校。小学5年生が社会科の授業で公害について学ぶ。公害の酷さを体験した自分。小学校の先生方や地域の方とフイールドワーク等をしてよい学びへと繋げている。
北九州市城山地区の公害について
北九州の城山地区は戦後 日に日に工業地帯が広がり公害(降下煤塵等)がひどく、昭和51年、開校から21年で城山小学校は閉校。小学5年生が社会科の授業で公害について学ぶ。公害の酷さを体験した自分。小学校の先生方や地域の方とフイールドワーク等をしてよい学びへと繋げている。
公害によって開校21年で閉校となった城山小学校と環境都市北九州の歩み
北九州市は国連環境計画UNEPや地球サミットUNCEDにおいて国連自治体表彰など、公害克服の優れた環境モデル都市になった。その公害の悲惨さと克服までの課程を全国の小学校社会科等で学習が展開している。表題の城山小学校は、昭和31年開校そして、公害によりわずか21年で閉校となる。その公害と住民の苦悩を先生方とフィールドワークや懇談しながら、授業構想のお手伝いをしている。